阪神・淡路大震災が25年の時を経て教えてくれること

 地域別

「もう2度と会えないとわかっていたら、もっと優しくできたのに…」

1995年(平成7年)1月17日 5時46分52秒
大きな地震が兵庫県を襲いました。
犠牲者は6434人。
東日本大震災に次ぐ大きな地震被害です。

神戸市など兵庫県各地では甚大な被害を浮けました。身近な人々を亡くされた地域の方々にとって、25年前の1月17日を思い出すと、当時の痛ましい気持ちが蘇って来ることでしょう。

大阪、神戸などに揺れを経験した方は、震災に関わる報道を見ますと、当時の恐怖を思します。私もその1人です。大切な人を亡くす、亡くしそうになって気付くこと。

「もっと一緒にいたかった」
「無事でよかった」

一方で、配偶者など身近な人であるけど…
「1秒足りとも一緒にいたくない」
「別れたい」
こんな気持ちが起こることがありますよね。その気持ちが本音か、一時的な感情のものかは、個人差があるかと思います。

広く考えると、人が人を求め合う、同じ時間を過ごしたい。もっとこの人のために尽くしたい、と思う時はどういう時なのでしょう?例えば、両親との別れは、多くの人にとって、悲しい、名残惜しい、寂しい、ものです。何故か?それは、長い間、成長や生活環境の変化など、一緒に困難を乗り越える手助けをしてくれたから。自分のことを無条件で愛してくれる。こんな両親の思いがあり、その思いを受け取っている時。無意識で感じていると思います。

「頼りになるな」
「自分も何か報いなければならないな」
「もっと幸せにしてあげたい」

また、お子さまがいらっしゃる方、犬などペットを飼われている方。「かわいい」という感情だけでなく、自分がお子さまやペットの成長に携わることで、笑ったり・遊んだり・喜んだり・なついたり、「一緒にいることに幸せを感じている」と感じた時にですね。自分も幸せな気持ちになるのだと思います。

では、恋人はどうでしょうか。
恋愛感情だけでなく、相手が年下の時は、親が子供を見つめるような優しい気持ちになります。年上の時は、頼りたい・甘えたい気持ちに。同年の時は、その半分半分になつている。そういった相手が自分を思う気持ち、自分が相手を思う気持ちに気付きやすいのが、震災のように困難に直面した時ではないでしょうか。

阪神・淡路大震災から25年を迎えるにあたって祈りを捧げ、震災で亡くなられた方、大切な人を亡くされた方の思いに、自分の思いを重ねる時、自分が今、何(誰)のために生き、どんな時間を過ごすべきなのかが見えてくると思います。

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