恋人を追い込み、進ませたい道に誘導する
窮鼠猫を噛むになる恋愛とは?
ネズミを食べようと追い詰めた猫に対して、本来弱い立場であるネズミが強い立場の猫に噛み付くことを「窮鼠猫を噛む」といい、窮地に追い詰められれば、弱い者でも強い者に逆襲することがあるたとえの表現としてしばしば用いられます。人間社会でも、いじめられっ子がいじめっ子に対して反撃する、男性に主導権を握られていた女性が、男性の粗暴な振る舞いに堪えられなくなって反逆する、などのケースは枚挙にいとまがないでしょう。
例えば、夫婦の場合、相手が従順だと思って言いたい放題していたところ、ある日突然、離婚訴訟を起こされた、こちらの言うことを無視されるようになった、日頃の不満を堰を切ったかのようにぶちまけられた、などの経験がある方もいらっしゃると思います。ネズミに限らず人も、追い込まれ過ぎると何をするかわからない、結局、相手に与えた分の堪えきれないほどのストレスは何らかの形でこちらに返ってくるということでしょうか。
では、人を追い込むと反逆されるから、逆に相手に多くの選択肢、もしくは自由を与え過ぎてしまうとどうなるのか?これは、首輪を外した犬の如く、相手はどこかに走り去ってしまう、逃げられてしまう、こちらも何をするかわからない恐れがあるということでしょう。ポイントは、相手を追い込み過ぎてもいけないし、自由を与え過ぎてもいけないということです。理想は、追い込むけれども、逃げ道を完全に塞ぐのではなく、いくつかの選択肢を残しておき、その選択肢が全て自分にとってのメリットのあるものにしておくことと思います。
恋人との関係を維持したい場合、自分と離れる、という道(選択肢)を全て塞いでおく必要があります。逆にですが、多少自分に不利益をこうむる道でも、離れない、に繋がるものであれば、それは急いで塞ぐ必要はないのではないでしょうか。例えば、息抜きになるようなグループでの異性と付き合いはオーケーするけれども、異性との2人切りの接触には目を光らせるといった具合にです。また、相手のデートや日々の生活への要望、職場の上司への愚痴などへの対応は面倒かも知れませんが、バサッと切り捨てるように拒絶するのではなく、提供できる利益については常に対応できる姿勢を見せておいてもよいでしょう。
相手を自分に繋がる道にどうやって追い込んでいくのか。この辺りを考えながら相手が進む道を絞り込むように仕向けていけば、相手を思い通りの道に誘導していくことも可能です。
(記事:スタッフ)