不満はないが感動もない生活は幸せと言えるのか?
最近では「花嫁修行」という言葉もほとんど聞かれなくなったと言いますか、男女平等という観点から使われなくなったという認識が正しいのかも知れませんね。結婚後、出産後に働く女性も増え、収入の差もなくなり夫婦や家庭での男女の役割が曖昧になって来ているのは否めないでしょう。
ここで台頭してきたのが、家事や育児をはじめとするさまざまな代行サービスです。夫婦とも仕事に時間も能力も注ぎ込む代わりに、その他の夫婦間、家庭での雑務はプロの代行業者に任せてお金で解決するという発想です。便利な世の中になればなるほど恋人や配偶者をはじめ身近な人の出番が減り、そのため日常生活に関するさまざまなスキルが磨かれない、衰えていくこともあるでしょう。
例えば、食事ですが、宅配サービスやテイクアウトの普及で誰もが不満はないが特別な感動もない料理が食卓に上がる機会が増えたのではないでしょうか。食事1つとりましても、作る側の思い、味付けやメニュー、材料に関する食べる側の感想などさまざまなコミュニケーションの機会となります。そして、作り手のスキルや思いが伝わる時、そこには「美味しい」「不味い」といった以上の感動があるのではないでしょうか。洗濯や掃除、整理整頓、生活空間作りなどでも同様でしょう。
お金は万能である、とにかく衣食住の生活がうまく回っていればよい、というような発想は、恋人に対する思いやりや気遣いの感覚を鈍くしていきます。恋人の好みや望むものを知ろうとし、もっとそれに応えようとするならば、他の誰でもない自分にしかできない生活面での貢献がもっと多く見つかると思いますよ。
(記事:スタッフ)