「火中の栗を拾う」と今、決めましょう
「火中の栗を拾う」とは、猿におだてられた猫が、いろりの中の栗を拾って大やけどをしたという寓話から来ているそうです。本来の解釈は、自分の利益にならないのに他人のために危険を冒すたとえですが、現代では、使う人によって解釈がさまざまなようです。火中の栗は食べると美味しいけれども拾おうとするならば、火傷のリスクを覚悟しなければならない。多くの人は火を恐れて手を伸ばさないが、栗が欲しいと強く思い、リスクを冒してでも挑戦する人だけが栗を手に入れることができるという解釈のほうがしっくりくる方もいらっしゃるでしょう。
この「火中の栗を拾う」と同じような意味の言葉として、「虎穴に入らずんば虎子を得ず」(危険を冒さなければ、大きな成功は得られないこと)もしばしば耳にすることがあると思います。
コロナ禍という閉塞感もあって、恋愛や生活でかつてない逆境を経験されている方もいらっしゃるでしょう。今まで満たされていたはずのものがどんどんと失われていく時、もうこれ以上は何も失いたくないとわずかに残ったものにすがる気持ちで守りの体勢に入るかも知れませんね。いくら守ったところで、現状維持かもっと悪くなる一方で、行き着く先が見えてしまった時、目の前が真っ暗になったような感覚にとらわれることがあります。
「どうして今のような状況になってしまったのだろうか」と反省し後悔しても何も状況は良くならないわけでして、今こそまさに思い切った行動の変化が必要な時です。火中の栗を拾う、虎の穴に入る勇気を持つチャンスと言えるでしょう。かといって、自暴自棄になればよいというわけではなく、新たな情報を貪欲に取り入れ、「する」と決断し、行動に移すことです。
ここで覚悟を決められない、決断できない人は、火中の栗を拾おうか、どうしようか、というところで迷い、時間を裂いてしまいます。この迷っている時間というのは、全くの無意味な時間です。火中の栗という欲しいもの手にするために「する」と決断するのか、しないのか。「する」と決断した時点で、全てが栗を拾うという目的に向かって動き出すわけですから、この時間は非常に有意義な時間です。
望む恋愛や欲しいものを手に入れるためには、どうすれば手に入れられるのかを考え、何らかの行動に移さなければなりません。リスクを恐れるあまり、決断できずに何となく毎日を過ごしていませんか。人生の時間の無駄をなくすためにも、決断のスピードと質が求められています。
(記事:スタッフ)