福知山の京屋旅館と明智光秀が愛される理由
・退色し飴色に焼けてしまった畳(たたみ)
・ダイヤル式の電話
・硬めの敷布団
・歩くと所々ギシギシ音を立てる廊下や階段
・山菜の和え物、刺し身、エビフライ、しじみ汁…etc
時間が「昭和」で止まったかのような…。兵庫県福知山市ににある「京屋旅館」。客室や食事の雰囲気に、ある40代男性は「心身ともに休まり、日頃の疲れを忘れられる」のだそうです。同旅館1階の食堂「五千石」に展示された数々の古美術品や甲冑、正面の御霊神社。これらを眺めていると「戦国時代にタイムスリップしたかのような感覚になる」とも。
スタイリッシュでモダンなインテリアを取り入れたホテルや旅館が次々に登場していますが、男性は、心身のリフレッシュのため、「古きよき」同旅館を夏と冬の年2回は欠かさず訪れると言います。
昔ながらの旅館の魅力について、このように言われると納得できることもあります。ですが、デザインや利便性に目が行き勝ちな20代女性には…。こういった魅力を理解し難いかも知れませんね。
言うまでもありませんが、人が行動するには、全て理由があります。「なぜこんな事をするのだろう?」と思うことも、他人からすれば、それが最善と思う理由があります。突き詰めて行けば?自分が今ここに居るのも、ただ何となくではなく、それなりの理由があってのこと。
ところで、同旅館のある福知山市といえば、福知山城を築いた明智光秀が有名です。戦国武将、織田信長の重臣であった明智光秀。「本能寺の変」で織田信長を討ったことで知られてますが、その理由は、今だ謎とされています。
数々の功績を挙げ「明と智に秀でること光の如し」とも称えられた明智光秀が、どうして主君を討ち、その後、同じく重臣だった羽柴(豊臣)秀吉に敗れてしまったのでしょう。一説では、織田信長の裏切りで母を失った明智光秀の怨念が引き起こした。単独犯説、黒幕存在説など。さまざまな憶測が囁かれていますが、原因は不明のままです。
明智光秀は「本能寺の変」の直前の連歌会にて。「ときは今 あめが下しる五月哉」、美濃の土岐氏の出である明智氏が天下を支配する五月となった、と詠んだそうです。
明智光秀は福知山城の天守閣から、福知山の城下町を眺めどんなことを思っていたのでしょうね。明智光秀の考えが誰にもわからなかったように、時として人は、予想もしない行動に出るケースがあります。恋人であっても、生まれも育ちも違うので、考えがわからないのは当然です。ですが、「謎」と思える人の行動にこそ、その人を読み解くヒント、そして人間の面白みがあると思いますよ。