大切な人が亡くなる前にできたこと、できなかったこと
「100日で死ぬ」と言われるたら?
人や動物って命あるものは、生を承けたものには必ず死が訪れます。頭で理解していても…どこか切ない思いが込み上げてくるのはどうしてでしょう。
ただ多くの場合。
このように錯覚しているか、現実逃避として事実を考えないケースがあります。
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「いつ死ぬかはわからない」
「元気な姿を見ていると、永遠にこの時間が続く」
身近な死を振り返ってると、祖父母やペットとの別れが思い出されると思います。「もっと一緒にいたかった」「元気だった頃が懐かしい」こう感じる時、共に過ごした時間の尊さを思い知る事でしょう。命は勿論ですが、人でも動物でも、共に過ごせる時間には限りがあるということです。特別なことがなくてもですね。喜んだり、元気に食事をしていたり、スヤスヤ眠っていたり、遊んでいたり、そんな些細な日常の光景。これが失われて初めて「大切な存在だった」と気付くのです。
「無くしたくない」
「悲しい経験はしたくない」
こんな思いが募る一方で、心に空いた大きな穴を埋めるように新たな出会いを求めます。祖父母の一方が亡くなり、もう一方がご存命の時。亡くなった方にできなかった分、存命している方に「何かしてあげたい」と思いますよね。犬・猫などペットを亡くされた方も同じです。新しい家族(ペット)が欲しい気持ちと亡くした時の悲しみの気持ちが蘇り、心の葛藤が起こります。
● 事例①
・大好きだった祖父が亡くなった。
・亡くなった祖父の肩を揉んであげられなかった分、祖母の肩を揉んであげる。
● 事例②
・ペットに関する正しい知識がなくて、辛い経験をさせてしまった。
・次のペットには正しい知識を持って接する。
● 事例③
・親友を交通事故で亡くしてしまった。
・悲しみ、寂しさを繰り返さないよう、交通事故の危険性を再確認する。
など、亡くしてしまった“家族・親友”にできなかったから…残された者、新たに出会った“家族・親友”に「したい」と思うのではないでしょうか。出会いと別れを繰り返す人生。生きていく中で、経験して得た“思い”が募って自分が大切な人の為に「できること」。その幅が広がっていったとするならば…人間として成長していると言えるのではないでしょうか。