自分の「頑張っている」は誰から見た評価でしょうか?
・毎日のように家でゴロゴロしている
・外へ出たと思えばカフェでまったり
・暇があればさまざまな場所へ小旅行している
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こんな話を聞けば、どう感じますか?
「そんな気楽な生活してみたいよ」
「毎日仕事(や子育て)で大忙しなのに」
「よく恋人から小言を言われないね」
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多くの方は、このように思われるでしょう。
ですが、そういう冒頭のような気楽そうに見える人の場合。お金、生活、恋人になぜか不自由していません。なぜだろう?って不思議に思った経験はございませんでしょうか。
「自分は毎日朝から晩まで働いてる」
「恋人にも尽くしてるのになぜだろう」
こんな理不尽な思いを抱かれたかも知れませんね。日々を「頑張っている」と思われたとすれば、その「頑張っている」は誰から見た評価でしょう?
休みなく動くこと、人に尽くすことは誰の目からみても…
「あの人はよくしてくれている」
こうなるかも知れませんが、自分が人と比べてですね。
金銭面
生活面
恋愛面
この3つで結果を残せていないと感じたならば、それは「頑張っている」ように見えて、実際は「頑張っていない」とも言えるます。
例えば、冒頭のように、人の目から見ればいつものんびりしているように見える。だけど頭の中では、常にどうやったら改善できるのか、誰も解けないような問題をどうしたら解けるのか、これらを考えているとしたら、見た目、つまり体は使っていませんが、頭はフル回転させていますよね。人によっては、雑念を排除したりして、頭を空にすると日々の行動の良いアイデアが浮かびやすいという方も居られるのです。
「頑張る」
「がむしゃらに生きる」
人によってはしんどいイメージが伴い、短期間なら耐えられるでしょう。ですが、仕事・生活・恋愛の長期戦を考えると途中で心が折れる方も多くなりってきます。
特に体を使うことに関しては「体力勝負」ではなく、以下が望ましいです。
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・長時間労働・低賃金→短時間労働・高賃金
・長時間・低印象→短時間・好印象
・時間がかかる煩わしい作業→簡単に便利に
問題はですね。
日々動き回るだけでなく、どれだけ取り組んでいるのか、です。人からの評価を気にし過ぎると、どうしても目に見えること、体を動かすこと(非効率な単純作業)に陥りがちです。自分の行動が将来求める結果にどれだけ合致しているのか?その行動は効率的か?常に自己評価し考える時間というのが「成功」には欠かせないと思いますよ。