片思いを両思いにする「人の役に立つ」ことの意味とは!?
「人の役に立つ人間になりなさい」
ある教育者は子供たちに言いました。日本に自殺が多いことに触れながら、「人の役に立つことが、自らの生きがいになる」とも。純粋、そして情深い人、特に子供たちが、このような言葉を聞けば、「では、困っている人を助けてあげよう」と思うかも知れません。それは間違いではないとは思うのですが…。
「人の役に立つ」
「助ける」
「救う」
これらの意味は、非常に奥が深いと思います。人の価値観は多様で、自分が「可哀想」と思っても、実は楽しく生きているケースもあるでしょう。昭和や平成初期は、「離婚」や「不倫」って聞けばネガティブなイメージが先行しましたよね。ですが、今は4組に1組の夫婦が離婚する時代です。結婚生活中に新たな新パートナーを見つけることも増えてきました。例えば、夫のDVで離婚したシングルマザーの女性がいたとしましょう。あなたが男性の場合。
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「女性が一人で子育て」
「そして働かなくてはならないなんて…」
「困っているに違いない」
こう思ったとしまして、果たして力になれるでしょうか?対人関係が苦手で女性経験が皆無、経済力もなく、服装のセンスもないとすれば…。女性に手を差し伸べたとしても、「結構です」と拒絶される可能性が高いです。何の役に立てるというのでしょうか?親切から何度も声を掛けても、ストーカー扱いされて警察に通報されるのが関の山でしょう。つまりはですね。「人の役に立ちたい」と思っても、その相手が助けを必要としなければ意味がないということ。
先の例で、シングルマザーの女性が美人で性格もよく、とても家庭的だったとしましょう。手を差し伸べる男性はたくさんいて、その中の競争に勝たなければ、助けることはもとより、近付くこともできません。
人が自分の人生に失望する原因。
それは、自分が関わりたい、助けたい、と思う人から拒絶されることではないでしょうか。ビジネスの世界でも共通していると思いますよ。他の企業より役に立てるモノやサービスを産み出さなければ、競争に負けてしまう現実があります。
「人の役に立ちたい」、こうやって本気で思うの場合。
どんな人の役に立ちたいのか、その人に自分は受け入れられ、その人が必要とする能力や価値を備えているのか。こういった問題をクリアしなければ、本当の意味で「人の役に立つ」ことはできませんよ。
● 補足の話
「してあげたい」は提供側の親切ですよね。「して貰ってた」は受諾側の理解です。前者の**してあげたい。には、見返りを考えて親切を提供する人も居ます。見返りなく親切できるのは親が子に与える”無償の愛”があります。恋人・夫婦にも無償の優しさは存在します。
ただですね。
「理解」と言う部分で、親切してるつもりが…実際には親切されていた。支えていた。と思ってたら実際には支えられていた。こんなケースが多いのです。別れさせ屋に寄せられる復縁相談では、男性相談者に多いと思います。この勘違いや理解不足から「別れたい」へと発展する恋愛が多いのは、どこかに見返りの意識があります。上から見下ろした発想とも言います。なので、相手にとっては寂しさ・不安を持ちますし、その不安を誰かに相談すれば?話をちゃんと聞いてくれる。として居心地の良さを感じることでしょう。そこから浮気に発展したり、浮気が本気になる原因の一つです。やはり恋愛では相手のことを考えて、自分がしてるのか・されてるのかを見極めること。こうやって意識して接することが別れない関係には必要だと思いますよ。