変えられる未来と変えられない運命
「今の恋人は運命の人なのでしょうか?」
こんな疑問を占い師に投げ掛けたことはありますか?運命とは、人の意志にかかわらず幸福や不幸を与えること、としばしば定義されます。だとすると、人の意志にかかわらない、すなわち選択肢がそもそもない、にもかかわらずですね。占いの相談者は、恋人が運命の人になるか、ならないか、この判断を占い師に仰いでいる時点で、運命に対する矛盾が生じていますよね。
「運命」の言葉を使った例文
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・人は皆死にゆく運命にある。
・この会社は倒産する運命だ。
・沈みゆく船と運命をともにする
運命という言葉の使い方を改めて考えてみますと、不幸な使い方をすることが多いように思います。つまり、運命に従っていたのでは不幸になるということなのでしょうか。将来を表す言葉として、運命のほかに、「未来」があります。運命という大きな領域の中で、できる小さな選択肢が未来で、運命は変えられませんが、未来は変えられる、というよりも未来は自ら切り開いていくものです。
運命と未来を勘違いしている方がたまにいらっしゃいます。恋人や配偶者、組織、その他の困難な境遇との出会いを運命と捉えて自らの状況を好転させられるのに何もしない方がいらっしゃいます。これは運命を言い訳に行動しないケースとも言えるでしょう。
特に結婚されている方はですね。「配偶者とはお互いの運命をともにするもの」との古い時代の結婚観をお持ちの方もいらっしゃるかも知れませんが、離婚によって、お互いが別々の道(未来)を歩むのも、最近は大きな選択肢の1つになりつつあります。これは、未来は、強い意志によって作っていくことを表す例と思います。
では、恋人や配偶者など人との出会いや別れが選択で運命ではなく、自ら作る未来に属するものだとするならば、なぜ運命の人という言葉が存在し、人(特に女性)は好んで使いたがるのでしょうか。
運命の人の定義をあえてするならば、(人の)選択肢がない、すなわち、恋人や配偶者と言えばその人以外に考えられないこと、をいうのかも知れません。運命の赤い糸、男女の小指どうしで繋がっている目には見えない糸は、1人に1本しかないと言われますよね。運命と言えるほど、異性を惹き付ける、また愛すことができたならば、それは出会いも別れも越えていて、まさに「その人が自分の人生そのもの」「その人のいない人生は考えられない」となるのでしょう。
人や物事との出会いを運命と捉えるかどうかは、その人次第となりそうですが、変えられる(作り出す)未来、変えられない運命について考えることは、運命の中で生き、より良い未来を作るためには大切なことではないでしょうか。