「我慢」を幸せのための待ち時間と考えてみる

 勝てる恋愛テク

既婚者が独身者に対して、結婚について語る時。

「結婚は我慢」というフレーズを言っているのを耳にする機会がありますよね。
性別も生い立ちも性格も違う者同士が一緒に生活に取り組むわけですから、当然相手への不満や思い通りにいかないことに対して気持ちを圧し殺すことも必要でしょう。この点で、「結婚は我慢」ということに異論はありません。
ただ、少し「結婚は我慢」というフレーズに対して説明不足ではないか、と思うのです。

例えば、我慢という言葉を使う際、「トイレを我慢する」という使い方をしますよね。これは、ずっと我慢しているという意味ではなく、トイレが見つかるまで、もしくは、トイレの順番が回ってくるまで、という意味合いが強いのではないでしょうか。つまり、我慢とは、ずっとしているものではなく、いつかは解放されたり、そのことによって幸せが得られたりするということを前提に使われるべき言葉と言えるでしょう。

結婚したり、恋人ができたりしたことによって、我慢しなければならないこと、が出てくるかも知れませんが、自分の意志や欲求をずっと押し込めることが必ずしも理想的ではありません。
そもそもですが、自分の意志や欲求があったからこそ、人を好きになり、交際したり、結婚したりしたいと思ったわけでして、そういう意味でも、意志や欲求を不要なものと考えてしまっては、世界がどんどん狭まっていってしまって、やがて極端な例ではマイナス思考や無気力、思考停止に陥ってしまうことも想定されます。

つまり我慢をネガティブに捉えるのではなく、「いずれ幸せや夢を掴むための待ち時間」ともっとポジティブに考えるのが理想的なのではないでしょうか。
そのためには、ただ我慢するだけでなく、何のための我慢かをもっと深く考える必要がありますよね。出口の見えない我慢ですと、ただ恋人への不満が募っていくだけですが、先に幸せや夢が見えていると恋人に対しても穏和に寛容に接することができるでしょう。一時の我慢をすることで、恋人の機嫌がよくなってくれ、その後、ラブラブで楽しい時間が過ごせると思えば、最初の我慢はあまり苦になりませんよね。

ポイントは、先の見えない我慢をできるだけ避ける、または恋人に与えないようにする、ということではないでしょうか。我慢を自分や恋人に求める時、必ずその先の幸せをイメージするようにすることが秘訣となるでしょう。
(記事:スタッフ)

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